Rubykaigi2009 3日目 高橋 征義さんの基調講演: Rubyと私、そして日本Rubyの会
Ruby会議3日目、最後のキーノート。高橋 征義さん。とっても素晴らしい内容でした。
そのメモと感想です。
今回のRubykaigiのテーマ
- 変化(change)
- 変わる、変える
テーマの理由
前回は多様性がテーマであった、多様なだけではバラバラなだけ、それではよくないので何かしら変えるべき、変えざるを得ない、何を変えるか、Rubyを変える、私たちを変える、私たちはどう変わるべきなのか、そんな考えで決めたのが今回のテーマ。
Rubyは変化してきた
ユーザ視点でのRubyの変化
- 大きな課題
- みんな同時に幸せになるのは難しい、捨てること、捨てなければ変われない、捨て去る変化を受け入れる
- Rubyの経緯
- さまざまな諦めがある
- さまざまなライブラリの取り込み
昔のRuby、まつもとさん一人による開発
- 問題点2つ
- まつもとさんがかけるものしかかけない、まつもとさんがよく知らない分野のもの、まつもとさんが興味のないもの、まつもとさんんが使っていない環境への対応、それらは実装されないのでほかの人のコードが入る。
- 言語はいろんなものに対応が必要、規格の取り込み、外部ライブラリ、世の中の流れ、流行、一人では追いつかない
変化の方針が必要
- コミッタの増加(いい変化)
- みんなでメンテ(昔は1人だったが変化してきた)
変化によってうしなったこと
さまざまな喪失
- 喪失を恐れない
- それを超える収穫を得るため、どうすればよいのかを考えることが必要
私が変えられるもの
- それは日本Rubyの会
問題点山積み
- 活動の多様化できていない
- 動いてはいる、止まりがち
- 思い切った改革
- 手が回らない
- 情報公開できていない(一部の人が動いている。ほかの活動も同じ)
ボトルネック
- 私の限界
- Rubyの会の限界につながる
- Rubyの会の構造
- 優しい独裁者
- Rubyと同じ
- それが足かせになってる
- 自分にはできないことができるようにしたい -> 全然未定、案1、権限の委譲(Rubyの開発を委譲していくように)
- 会長の集団、あまり解決策ではない
- プロジェクト毎の代表、これだけではあまり現状と変わらない
- システムによるサポート、MLを捨てる?(今はRubyの会の母体になっている)
- プロジェクト管理のシステム化、redmineとか、関心あるプロジェクトに属する
- プロジェクトに属する人が会長、私を捨てられる形を作ること、トラックナンバー+=1
- 私がさほど面白いと思わないことをどんどん積極的にやってほしい
- 楽しい未来
まとめ
- 変化には喪失がつき物
- 喪失を超える良いものを作っていきたい
キーノートの感想
非常に良いキーノートでした。今回のRubykaigiでRubyがもっと好きになりました.
組織が大きくなって良いこと、困ること、様々ある。困ることと言えば、キーノートでも言っている通り、「文化の分裂」だと思う。
組織が大きくなると、いろいろな人が入ってくる、いろいろな考えを持っている。
「文化の分裂」は怖いが、勇気を持ってそれを受け入れつつ進歩して行くか、かたくなに拒否しながら進歩してリーダーの想いを貫くか。選択する必要がある。
大きくなったプロジェクトの隅々まで1人で管理することは難しいが、それにも負けず、世界からの声にこたえ機能を取捨選択し、Rubyの方向性を見失わず、進まなければならない。
まつもとさんも言っていた通り、割れ窓理論もある。どこか1つの「今のRubyらしくないところ」が汚染をはじめるかもしれない。
変化には喪失がつきものだが、喪失によって「今のRubyらしさ」を失って行っていいのか、どうなのか。
私個人的には、失ってほしくない。Rubyの設計思想はとっても好きだ。
また、組織が大きくなり、コミュニティの数も多くなり、「あっちのRubyコミュニティとこっちのRubyコミュニティは違う」とか
「西日本と東日本のRubyが違う」とかこのようなこともあまり望まない。
そこから、派生して、新しい言語の発展は生まれるかもしれないが、「それはそれ、RubyはRuby」であってほしい。
私はRubyコミッタではないが、私にも出来ることがあると思う。Rubyでのソフトウエア開発と、Rubyコミュニティの応援だ。これからも使い続けて行くRuby。
Rubyにかかわるすべての人に感謝しつつ、少しでも恩返し出来ればと思う。